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色覚の研究,私の場合。立命館大学,チュラロンコーン大学 池田 光男

色覚のメカニズムの研究

 東工大での研究により生理光学が日本でも注目されるようになり,さらには生理学的な見地からの色覚の解明も進み,われわれの研究も成果を上げることができました。
 というのも,それまで不可能だった動物の目にさまざまな種類の波長の光を入れ,その電気信号を取り出すという電気生理学の研究が世界的に進歩し,色覚の解明につながる数多くの貴重なデータが発表されたからです。
 ここで簡単に色覚について説明しますと,そのメカニズムに関しては,古くからヤングやヘルムホルツ,またヘーリングらが予想しており,その説も数種類あります。
 それらのなかで,現在支持されているのが,ヤングやヘルムホルツの「3色説」と,ヘーリングの「反対色説」です。
 3色説というのは,網膜には,赤・緑・青を感じる3種の要素があって,それらの3つの要素がいろいろな割合で反応することで色を感じるというものです。この考え方はテレビのカラー表示の原理としても一般的になじみの深いものです。
 一方,反対色説というのは,白と黒,赤と緑,黄と青の3つのお互いにうち消し合う反対色的に反応する物質が存在し,それによって色を見るというものです。具体的に説明すると,例えば,光が「赤対緑」の物質に入ったとすると,赤の反応と緑の反応が互いにうち消しあい,残った方の反応だけが大脳に送られるというものです。赤の反応が残れば赤が見えるという具合です。
 色覚のメカニズムは,長い間この両モデルの間で論争が繰り広げられていたのですが,1950年代半ばにベネズエラのスペッチンという電気生理学者が魚の網膜の細胞から反対色の理論を裏付けるデータを得ることに成功し,世の中はヘーリングの反対色説に傾いたのです。
 しかしその後,慶應義塾大学医学部の冨田先生が,金魚の目の細胞を使った実験で3色説を裏付けるようなデータを得てその研究成果を発表するに至ると,今度は学会に「3色説」の一大センセーションが巻き起こったのです。
 現在はそのどちらの理論も正しく,網膜の最初に3種類の視細胞があり,それらの反応が反対色の細胞に送り込まれ,大脳にはそれからの出力が伝達されるという考えに落ち着いています。
 そのように1950年代の後半から1960年代の初めにかけて,生理学的方面から色覚解明の大きな進展につながるような要素が次々に発見されていましたから,われわれ心理物理学者としては,それらの結果を裏付けるような実験結果を得るべくさまざまな実験に取り組むことになったのです。
 しかし,日本においてわれわれを取り巻く環境は非常に厳しいものがありました。というのも,色覚に関する研究は昔からありましたが,その多くは文学部などで行われていた文化系的な研究で,それは理科系のような複雑な光学系を使う実験や演習による研究ではなかったからです。
 そこで,色覚研究におけるこのような日本の状況を何とか変えるべく,早稲田大学の大頭先生,千葉大学の江森先生と共に,生理光学研究会を立ち上げたのです。学術会議へも視覚研究の重要性を説明し援助をしてもらいたいとの訴えをしたものです。その研究会は今では発展して日本視覚学会になっています。
 東工大では,そのように新たな領域として色覚の研究に取り組みました。当時の研究成果の1つとして思い出に残っているものに国際照明委員会(CIE)で提起された「明るさによる眼の分光感度の標準化」があります。
 それまでも,人間の眼の分光感度の基準はありました。それは1920年頃に実験的に求められ,1924年にCIEが採用した比視感度関数V(入)で,今もすべての測光器に入っています。しかしこれが明るさの分光感度かというと,そうではないのです。眼で見ると分かりますが,測光器で測って同じ光の強さにしていても,赤色や青色で鮮やかな色はとても明るく見えるのです。そのため,現存の測光方法で設計したディスプレーでは色の鮮やかなところが明るすぎるという問題が出てきたのです。
 そこで,正確な明るさに対する眼の分光感度の確立が急務となり,東工大の研究室で学生たちに実験に参加してもらい彼らの眼から多くのデータを取ったのです。ただ,日本人だけのデータでは国際的なものとは言えませんので,それまで出ていた関連する論文をサーベイしたり,中国の研究機関に出かけて行って人のデータを取るように勧めたりして,明るさの分光感度の形を整えていきました。結果として得たのはV(入)のようなスムーズな曲線ではなく,凹凸のある曲線でした。つまりこれは,人間はものを見るときに色の情報を加味して明るさを判断しているということを意味します。
 このようにして,明るさによる眼の分光感度をCIEに報告しました。それはCIEの技術報告書となりました。しかし,それを実際の測光器に使うにはまだまだ解決しなければならない問題があります。東工大の卒業生らの何人かはいずれ国際基準に採用されるべく問題解決の研究を続けています。なおCIEでは,視覚と色の部会の副部会長を2年間,部会長を8年間務めさせていただき,各国の思惑もある標準化という仕事の困難さも体験しました。


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池田 光男

池田 光男(いけだ みつお)氏 ご経歴

1933年生まれ, 1955年,大阪大学工学部精密工学科卒 業,1956 年,同大学大学院中退, ミノルタカメラ株式会社就職,1962 年,ロチェスター大学大学院光学専攻博士課程修了, Ph D,同年,ロチェスター大学心理学部研究員, 1963年, ミノルタカメラ株式会社復職, 1971年,東京工業大学工学部助教授, 1976年,同大学大学院総合理工 学研究科教授,1990年, 京都大学工学部教授, 1996年,立命館大学理 工学部教授,2005年, タイ王国チュラロンコーン大学客員教授。 日本光学会幹事長,日本照明委員会会長,国際照明委員会第一部会長,理事,国際色彩学会会 長を歴任。 1967年,応用物理学会光学論文賞,1983年, 照明学会賞, 1996 年, 国際照明委員会功労賞, 2003年, 国際色彩学会 Judd 賞を受賞 著書,視覚の心理物理学 (森北出版), 色彩工学の基礎 (朝倉書店), 眼は何を見ているか(平 凡社), どうして色は見えるのか (平凡社,共著), 老いの目を考える (平凡社,共著)

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