色覚の研究,私の場合。立命館大学,チュラロンコーン大学 池田 光男
色の恒常性研究の実際
チュラ大でも色の見えについて,色の恒常性の観点から研究していますが,実際の研究についてちょっと紹介してみましょう。一つの部屋から窓を通してもう一つの部屋を観察するとします。そこに小さい色票を置いて,その色の見えを判断します。窓が小さいと向こうの部屋は分からず,窓いっぱいを満たしている色票だけが見えます。図1のW1がそれを示しています。今こちらの部屋の照明を赤色にしておき,向こうを白色にしておきます。するとこの色票はもしそれが元々灰色であっても,人はこちらの部屋の赤色の照明に順応した眼でそれを見ますから赤色の反対,緑色に見えてしまいます。では窓を少しずつ大きくしていきましょう,W2,W3,W4,W5というふうに。W2ではまだ色票だけしか見えません。W3ではどうでしょうか。色票の周りにはまだほんの少しだけしか向こうの部屋の物体が見えません。でもこれで十分です。向こうに別の部屋があることを大脳は十分に認識するのです。するとその瞬間,色票の色が本来の灰色に変化します。向こうの部屋の照明に対する色の恒常性が成立するのです。
図1こちらから向こうの部屋をいろいろの大きさの窓 を通して見て,そこにある色票の色を観察する実験。 W3 の大きさになると向こうの部屋の存在が認識される。
それを示すデータが図2です。カラーネーミング法と呼ばれる方法で色の見え方を判断します。白丸のデータが今例としている灰色の色票の結果です。細かい説明は省きますが,W1,W2と書いた辺りの点は色票の色が左の方向つまり縁方向にずれていることを示しています。W3〜W5の辺りの点は中心に来て,元々の灰色に返っていることを示しています。向こうの部屋の存在の認識のあるなしが色の見えを変えていきます。これが大脳で色を見ている証拠です。
図2 窓の大きさを変えると色票の色の見えが大きく変わると ころがある。部屋の存在の認識と同時に色の恒常性が成り立つ。
色の恒常性に関しては,このような研究成果が認められて2003年に国際色彩学会(AIC)においてジャッド賞を受賞しました。
なおこの学会では副会長と会長をそれぞれ4年間勤めていましたので,それも評価されたのかと思います。
網膜から大脳へ
若いときに留学したアメリカのロチェスター大学のボイントン教授の研究室には著名な視覚研究者が多く訪れていました。後にノーベル賞を受賞したハーバード大学のウォールド教授もその1人で,研究室のスタッフや学生への講演の最後を先生はこう締めくくられました。「人間の網膜の構造はほとんど明らかになった。これからは大脳というジャングルに分け入らねばならない」
それから40年が経ちましたが,多くの視覚研究者はまだまだ網膜レベルの研究を続けている状況です。ミノルタと東工大では私も網膜の研究を中心に行ってきました。
京大では網膜ではなく色の見え方の研究をやらざるを得ない環境に置かれて大変苦しみましたが,その結果,色の見え方は空間の照明認識の上に成り立つという照明認識視空間の概念に到達することができたのです。
立命館大ではその概念の詳細を作り上げ,チュラ大ではさらにその概念を色の見え方をもたらす大脳のメカニズムとして確立しようとしています。
かつてウォール下先生が言われた大脳のジャングルへ,私自身はもう入り込んでいると思っているのです。(文賁 Y.F.)
池田 光男(いけだ みつお)氏 ご経歴
1933年生まれ, 1955年,大阪大学工学部精密工学科卒 業,1956 年,同大学大学院中退, ミノルタカメラ株式会社就職,1962 年,ロチェスター大学大学院光学専攻博士課程修了, Ph D,同年,ロチェスター大学心理学部研究員, 1963年, ミノルタカメラ株式会社復職, 1971年,東京工業大学工学部助教授, 1976年,同大学大学院総合理工 学研究科教授,1990年, 京都大学工学部教授, 1996年,立命館大学理 工学部教授,2005年, タイ王国チュラロンコーン大学客員教授。 日本光学会幹事長,日本照明委員会会長,国際照明委員会第一部会長,理事,国際色彩学会会 長を歴任。 1967年,応用物理学会光学論文賞,1983年, 照明学会賞, 1996 年, 国際照明委員会功労賞, 2003年, 国際色彩学会 Judd 賞を受賞 著書,視覚の心理物理学 (森北出版), 色彩工学の基礎 (朝倉書店), 眼は何を見ているか(平 凡社), どうして色は見えるのか (平凡社,共著), 老いの目を考える (平凡社,共著)